2009/08/10

設計・デザインへの思い その6:堺ノ街


写真(堺市立中央図書館所蔵)は明治36年に堺の大浜公園で行われた第5回内国勧業博覧会の会場に出来た海浜リゾート施設です。当事の内務卿大久保利通が「富国強兵・殖産興業」の近代化政策の為明冶10年に第1回内国勧業博覧会が上野公園で行われ堺が最後の博覧会になりました。

当時の政策が反映された大変素適な施設ではありませんか?この施設の直近までチンチン電車が入りとても活気がありました。大桟橋とホテル、付近にはなんと木造4階建のホテルもありました。近くには堺港があります。日本では長崎と堺だけが海外取引があった港です。その勢いを感じる写真です。

街の鳥瞰図(進研究室作成)は当事栄えた堺駅があった街区です。昔とは違い現在は海との間に国道・阪神高速・コンビナートがあり海と分断され昔の賑わいのない街区になっています。今の堺駅はこの鳥瞰図上部(北側)の川の向こうにあり、堺港は左上の位置にあります。人々は駅北側で再開発された区域に集まっています。

過去と現在の違いを想像しますと、当事は人の動きとその街が持っていた個性が一体となり鉄道なり、建物なりが同じ様な方向性を持って建設されたと思います。鉄道・土木・ホテル・大桟橋・商店・住民等々それらを繋ぐ意識が有形、無形に関わらず協業された結果できたのだと思います。

現在、私はこの海から分断された地域の中で、ある施設のリニューアルの企画デザインから設計提案をしています。取り組みとしては地元との関係性をまず原点に置き、多種多様な業種の人とコラボレーションを行いながらそれぞれの知恵をこの地域に反映させています。見かけだけの改装に終ることなく、地域と一体となりえるリニューアル事業の仕事を目指しています。

プロジェクトの成功の鍵は、地域の発展につなげることが重要なのです。